採用ブログ
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■プロフィール
2015年度入社(新卒)関西学院大学 商学部卒業
大学時代は体育会カヌー部。揚羽に入社後は、営業プロデューサーとして採用や広報の案件に携わりながら、兼務で教育研修やマーケティングなどの営業企画業務を経験。6年目で営業企画としてマネージャーに昇格したのち、現場に戻って営業マネージャーを経験、現在は営業次長として活躍中。
趣味はダイエット、特技はリバウンド。
目次
揚羽に入社するまで
ー石田さんが学生時代に就職活動されていたときの軸はどんなものだったんですか?
体育会で団体日本一を目指した経験から
①人の心を動かせる業種(スポーツの特性、自分が好きな理由に通じるところ)
②チームや組織作りがしたい(企業の駒ではなく組織の幹部になれる会社)
の二つを軸に就職活動をしていました。
その掛け算が上手く合わさった会社が揚羽だったなと思います。
ー当時は揚羽以外の会社も見ていたんですか?
②の軸とは少しずれるんですけど、電通とか、あと報道とかテレビ局とかは見ていました。
①の軸から、広告とかエンタメがやりたいっていうのは変わらなかったので、その業界に絞って受けていましたね。
ー最終的に揚羽に決めたポイントはどのあたりだったんですか?
色々受けて縁がなかったのもあるんですけど(笑)
持っていた軸とのマッチングが一番強く感じられたのが揚羽でした。
あと羅針盤とかいろいろ見て、価値観がすごく合うな、すんなり溶け込めそうだなと思ったところも大きかったと思います。社長が早稲田大学ラグビー部出身っていうのにも親近感を感じて(笑)
ーチーム作りとか組織作りに関してだと、価値観や人が合うかどうかも結構関係しそうですもんね…!
入社してから気が付いた「営業の面白さ」
ー揚羽に入社してからの揚羽キャリアを一言でいうと?
『「営業」にハマっていろんな角度から「営業」を極めてきた』ですね。
実は、揚羽に入ったときは漠然と広告とかクリエイティブとかに関わることができたらいいなあくらいの感じで、もともと営業がやりたかったわけではないんです。
就職活動の軸の一つ目の、人の心を動かせるっていうところへの思いが強かったので、例えばテレビの企画とかそういうのをやりたいと思って社会人になりました。
揚羽の中では人の心を動かすっていうのはやっぱり制作物なのかなと思っていたので、なんとなくクリエイター志望だったんです。
でも、営業になって、活動をがむしゃらにやるなかで、目先のクライアント担当者の心を動かせるような体験を多くできたんです。提案をもっていったらすごく喜んでもらえた、とか。そういう意味では営業はエンドユーザーではなくて、もうちょっと近くにいる人を幸せにできる仕事だなってすごい思いました。そのときになんか改めて、自分は多くの人を幸せにするとか大きいことがしたいとかいうよりも、近くにいる人が喜んでくれたほうが嬉しいなっていうことに気づいて、そこで自分は営業に向いているなと確信しました。
ーやっていく中で気づけた面白さがあったんですね!石田さんが営業をされていた時に心に残っている案件やエピソードなどはありますか?
以前長く担当させてもらっていたところで、当時がむしゃらにたくさん提案を持っていっていたんです。そのときの担当の方が広報の人で「今まで割とルーティンワークだったけど、石田さんが色々提案をくれるから自分の仕事に誇り持てるようになった。自分の仕事の可能性の幅が石田さんのおかげで広がりました」って言ってもらえて。
それがすごくうれしかったですね
ーそれはうれしいですね!
お客様との関係性などに変化が起き始めたのは入社してどのくらいたってからでしたか?
クライアントとの関係性の変化について実感できる部分は、小さなことだと1年目から実感はありました。当時の自分はもうとにかくがむしゃらに数字作らないとって、あれもこれもとりあえずたくさん提案を持っていこうみたいな感じだったんです。
それが多分お客さんからするとそれが新鮮なことが多かったんだと思うんです。
それで、その時の自分は気づいてなかったけど後から振り返ると、関係が変わってたんだなって思うことが結構多いかもしれないですね。
ークリエイター志望で入社して営業になった石田さんが、そんな風に言われたことをがむしゃらに頑張ることができたのはどうしてだったんですか?
営業での仕事が、入社する前に持っていた軸と大きくずれていなかったっていうのもありますし、やるからにはちゃんとやらなきゃっていうのも、もちろんありました。それと、大きい大義とかももちろん大事だけど、それ以外にもお客さんの反応とかのような日々の小さいうれしいことってたくさんあるんで。小さいモチベーションの塊がたくさんあったみたいな感じなんだと思います。
あとから振り返ると、あれってこういうことだったんだ!みたいな大きい変化が見えたりするんですけど、小刻みにそういう変化だったり嬉しいことを経験していたんだろうなって思いますね。
営業を実際にやってみたらその中で面白さとかやりがいみたいなところが結構感じられたし、自分にとっては面白さが結構やりがいにもつながりやすいものだったっていう部分があるんだと思います。
揚羽の営業の話になるけど、うちの営業って結構マイナスをゼロにするというよりはお客さんにとってプラスのことを一緒に考えてあげる仕事なので、お客さんの反応がいいことは多いのかなって思います
ーなるほど。一緒により良くしていくことを感じられるのも面白さの一つなんですね!
仕事が面白くなり始めたのは何年目くらいからですか?
3年目になってできることが増えてきてからが楽しいっていう話を結構聞くんですけど、僕は最初から面白かったです。変な人ってよくいわれます(笑)
自分の結果がでないことの苦しさはもちろんあったんですけど、お客さんの良いところを知れるとか、こんないい会社なんだとかそういう機会がすごく多くて。ドキュメンタリー番組で感動するような感覚みたいな(笑)
あとは一緒に仕事している担当者の方が、「この人と会えてよかったな」と思えるくらい素晴らしかったり。お客様に恵まれてたのかもしれないっていうのはずっと思ってましたね。
奇跡的に優秀な方々と1年目からお仕事できたので、学びになることがすごく多くて。
やっぱり取引相手と繋がっている部署とかには優秀な方が多い印象がありますしね。
そういう意味では揚羽は小さい会社だけど、色々な大きいクライアントとかに会えたりいろんな会社の偉い人と喋ることができたりするので、お客さんから学べることがすごく多い環境だなと思います。
若手からしたらどの方も社会人として先輩なので、職種とか関係なく学ぶことが本当に多いですね。
ー日々の仕事の中で面白いと思えることがあったから、1年目から楽しいと感じられていたんですね!
自分の成長と、組織としての成長。
ーちなみに、石田さんが入社された時の揚羽ってどういう状態だったんですか?
2015年だったので、銀座に本社を構えていた最後の年ですね。当時は社員数が今の半分くらいの70人くらいで、ちょっと創業期が落ち着いてきたくらいの頃でした。
営業をやっていたのは15人くらいで、みんな元リクルートの人とかで、全体としては組織になり始めたくらいの頃で割と全員バラバラに動いてたかなという感じでした。
ー石田さんが今のポジションに至るまではどんなキャリアを歩んで来られたのですか?
僕は4年目から営業企画兼務になって、昇格自体はその営業企画のほうで昇格したんです。
いわゆるマーケティングとか、営業推進っていうのはその時初めてだったんですけど。
昔の揚羽って今もそうなんですけど、役割とか関係なく1年目2年目とかから「こういうことやったらいいんじゃないですか」って手を挙げて、やらせてもらえたりとか。2年目になったらすぐに後輩を見たりとか、そういうのをやらせてもらえる環境だったので。
僕らの世代はキャリアとか関係なくマネジメントとかそれに近しい経験を最初からできていたなと思います。
営業資料を整えてフォルダに入れたりとかも誰かが自主的にやってくれている、みたいな世界だったので。
そういう、みんなが色々な仕事を兼務しながらやっていく中で、僕の役割も、2年目のときから後輩の面倒見たりとか、営業推進とか営業企画みたいな方も兼任でって手広くやっていってっていう感じでした。そうしていたら、営業企画とかのほうがあってるんじゃないかっていう感じになって、4年目からは営業の目標数字が半分になって、あとの半分は営業組織のボトムアップをやってくれってとりあえず役割だけ渡されて、何しようかな、みたいなところから始まりました。
ーなるほど!そのときの石田さんはどういう心境だったんですか?
その時は、そういう営業企画の仕事に対してすごく必要性を感じていました。
揚羽のお客さんのレベル感や仕事も、この5年ですごく難しくなっていってると思うんですけど、当時は僕は3-4年目だったんですけど、そのときの1年目の後輩とかが苦労していたので。本当に型を作らないと育つ人も育たないなと思っていました。
なので、そのあたりのことをやらなきゃいけないだろうなっていうのは自分もずっと思っていたし、実際に手を挙げていました。経営の皆さんもその認識はあって、じゃあちょっとやってみるかっていう感じで。
ーはじめは、どういうところから整備され始めたんですか?
みんなが使える営業資料を作るところからですね。事例集とか。
あとは、毎月お客さんに持っていくネタとして、世の中の採用情報とか取りまとめて収集したりとかもしていました。大きい会社とかだとよくあるような、情報の手土産みたいなもの。そういうのを整えるみたいなところからスタートしていました。
当時はほぼひとりで、少しチームの人たちに見てもらいながらやっていました。
あとは見積もりのフォーマット奇麗にしたりとか、最初はそうした雑多なところ…あとはたまに電話の問い合わせとかも来ていたので、その初期対応とかはその時からやっていました。
資料作成のところもだんだんナレッジ共有とか、「虎の巻」とか育成マップとかその辺の話に広がっていって。型化みたいなことですね。
やるべきことは山のようにあったので一個一個自分もキャッチアップしながら次々に色々取り組んではいました。
なので、そこで役割をもらって昇格できたんですけど、みなさんが課題に感じてたことと自分の役割がうまいことマッチしてたので、結構運がよかったなって思っています。
どんどんどんどん仕事が降ってきたので。
ーそれだけやることがたくさんあると、何をしたらいいんだろうってなってしまいそうですね…!
めっちゃなりましたし、これ本当に必要なのかなあとかも思ったりしました(笑)
あとはやっぱり、前例がないからどうやったらいいのかわからないみたいなことがすごく多くて。そういう苦しさはありました。
ーそうした苦しさを当時はどうやって解消されてたんですか?
めちゃくちゃインプットを頑張っていました。セミナー行ったり、本読んだり。
ほかの社員の方と協力していきながら、自分でもインプットして、アウトプットして、ってしていました。
ビジネス本を読んで、付箋張りまくって線引きまくって、それをすぐに実践しよう!みたいな。まさに手探りで作っている段階っていう感じも結構面白かったなと思います。
ー石田さんのキャリアは、こういう風にやったほうがいいというよりかは、入社してからずっと手探りでやってこられているみたいな印象を受けます…!
そうですね。ただなんて言うかあくまで「営業」なので、半身営業企画だけど半身営業もしていたので。考えたものを実際にお客さんに対して見せてみてみたいな、二足の草鞋をはいていたからやりやすかったみたいなのはありそうだなと思います。
専任になってからのほうがちょっとやりにくかったですね。
それっぽい資料とか、営業はこういう風にやりましょうっていうプレイブックを作るんですけど、揚羽の営業ってほかの会社の営業とは似て非なるものがあるので、実際にそれがうちの顧客群に刺さるのかどうかとか、営業が使いやすいかとか、その辺の感覚はやってる人にしかわからなかったりするので。
ーなるほど、それが自分で試せるのとそうじゃないのとで結構差があるんですね…!
兼任でずっとやってこられて、途中から専任になられたんですよね。
5年目の途中からもう完全に専任で、その時にリーダーになって。
マーケティング・インサイドセールスを本格的にやるっていうタイミングで、インサイドセールスの方をやってくれていうので、もう専任になりました。
(同じグループメンバーと旅行を楽しむ石田さんの図)
揚羽の「マネージャー」の役割を確立するということ
ーそういう経緯だったんですね。その後はどういったお仕事されていったのでしょうか?
営業現場のマネージャ―として働くことになりました。
マーケティングとかインサイドとかって、結局営業活動を仕組化してやりましょうみたいな俯瞰的な角度から営業をたくさん学ぶことができたなと思っています。さっき言った通り、現場でやらないとわからなかったりすることもすごく多かったり、営業企画を通して営業に関する知識が蓄えられたりしたので、自分がまた営業の現場に戻ることで、それらを還元して、貢献できるんじゃないかと思いました。
あとはやっぱり現場がいいなって(笑)
僕はお客さんが好きなので、お客さんの喜ぶ顔が近くで見れるところがいいなって思って、それで現場に戻してもらって、今は色々試しながらまたやっています。
ーマネージャーって、クライアント先に出られることあるんですか?
担当としてお客様を持っているわけではないんですけど、メンバーの同行という形でお客様先にもどんどん営業しにいきます。
昔は自分が中心で話して~だったけど、今はメンバーを通じていかにお客さんの喜ぶ顔を作り出せるかという感じでしょうか。
ー揚羽のマネージャーの方が担っている役割や、普段一番時間を割いてる仕事について教えてください
物理的な時間は正直メンバーのほうが忙しいと思っています。
マネージャーはやっぱり判断することが多いです。どうすればいいかっていうところのジャッジとか、あと揚羽の仕事は一人でできない仕事で、経験の浅いメンバーだと他の部署との兼ね合いで判断の難しいところが多いので、間にはいって制作の方との間の通訳になったりとか、そういうのが結構多いかなと思います。
ただ、物理的な負荷があまりない代わりに心理的な負荷がちょっと大きいかもしれないです。
いろんな視野を広げないといけないなってまだ思っているところもあるんですけど、もちろん顧客満足も必要だし、従業員満足、メンバーもそうだし、制作の人とかもやっぱり幸せに働けるような形で案件を受けなきゃいけないかなあとか。
あとは会社として、それが前に進むのかどうかとか、 その中でメンバーが成長につながるためには、どれぐらいはやらせるべきでどこからはやらせないとか。
その辺をいろんな観点で考えて、物事をどう進めるかっていうジャッジを一瞬でスピーディーにやる。それで、それがどう転ぶかわからないけど、そこに対してちゃんと責任を取るっていうか
ーすごく経験値がものを言いそうですね…!
本当に色々な観点があるので。制作の人の観点とか、営業とか若手、お客さんとか経営、みんながアグリーできる状態にどうやって持っていくか、全体最適をどうやって作れるかみたいなところがあります。多少妥協しなきゃいけないところもあったりするんですけど、その着地点をどこに置くかっていうのを、俯瞰的に見て、考えてこうすべきだよなっていうのを決めて、ちゃんと全員にアグリーとってっていう、そんな感じの仕事なのかなって思います。
ー大変な仕事ですね、マネージャーって…!
石田さんは昔からマネージャーやりたいと思われてたんですか?
明確に思ってたわけじゃないけど、部活やってた時もそういう感じで立ち振る舞ってたことが多かったので、自分の性格にはあってるなって思ってました。
色々なことを調整したりとか、どうやったらみんなが練習しやすくなるかとか。そういう「環境をどう整えるか」みたいなことはすごく大学生ながらにして向き合っていたところだったし、俯瞰的にとか冷静に見て客観視してみたいなことが割と好きだったので。向いてるだろうし好きだなって感じですね
ー揚羽ならではのマネージャーで必要とされる力だったり、今のフェーズだからこそ求められるものみたいなものはありますか?
変化がはげしい会社なので、ストレス耐性というか、レジリエンスはすごい必要だと思います。
組織として転換するタイミングはすごく多いので、そこに対してみんなをついていかせないといけないし、そのためには自分がまず追いつかないといけないのが大前提としてありますね。あと間に入る立場なので、上と下のストレスをいかに解消させるかっていうところは結構必要かなと思います。
3か月に一回何かしら変わるので、大きい会社にいるひとからするとものすごくはやい速度で変わっていくなって思うと思います(笑)
あとは特徴としては良くも悪くも上と近いっていうのはあると思います、チームの会議にいることはない社長がマネージャー会議にはいたりするとか。
良い面でいうと、視野がすごく広がるというか、経営者ってこんなこと考えてるんということを知れるので、それがすごく勉強になるなと思います。
会社の経営だったり運営の視座も視野に入れつつマネジメントの経験が詰めるっていうのは今のフェーズならではの面白さだし、成長にもつながるなと感じています。
悪い面でいうと単純にちょっとストレスがたまったりとかですかね、聞かなくてもいいことも入ってきたりするので(笑)
総じて良い環境だと思います。すごく。
ー石田さん、本日はありがとうございました!
そんな石田さんはこの10月から次長にめでたく昇進されました。ご本人はもちろん、新卒当時からいるメンバー、責任者からも祝福されていたのが印象的でした。
石田さんが営業部門を作る時代もすぐそこですね!!